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「誰かの役にたっている感」という必須アミノ酸

誰かのためということ

人間が体内で合成できない、外部からの摂取が必要なアミノ酸のことを必須アミノ酸といいますが、最近メンタルにおいても外部からの摂取が必須となる感覚があると気が付きました。

それは「誰かの役にたっている」という実感です。

まあこの感覚が大事というのは周知の話であって、取り立てて扱うものではないのかもしれませんが、外部から定期的に摂取が必要なところや不足すると心に支障をきたすあたりが「栄養素」のモデルに近いなという気付きです。

この、誰かの役にたっているという実感(以下 誰役感)を軸に日々の生活を眺めてみると色々な事が分かります。

  • 奉仕活動とは、奉仕する側が直接的に誰役感を得る行為
  • ビリオネアが慈善活動をするのは物質的・社会的に満たされた後の誰役感への渇望
  • 意味のない作業を延々させられると辛いのは誰役感を絶たれるから
  • 企業がやりがいをアピールするのは定期的に誰役感が得られる職場と思わせたいから
  • ダメ男にばっかりハマってしまうのは誰役感の供給を男に依存しているから(あるいは人一倍誰役感が必要な体質だから)
  • 子供にとって親が大切なのは「あんたが生きてるだけで嬉しい」と無制限に誰役感を供給してくれるから
  • SEXが満たされるのは相手の事を気持よくさせているという誰役感をお互いに感じているから

誰役感はゼロサム

栄養素のような物だと言いましたが、誰役感をもらった分相手の誰役感が減るという事はありません。 奢ってもらった方は多少申し訳ない気持ちにはなりますが、別の形でお返しすることで2人の誰役感の総量は増えます。 誰役感は他者と交流すればするほどプラムサム・ゲームで増えていきます。 積極的に他者と交流できる場といえば、インターネット上のソーシャル(SNS)です。

ソーシャルにおける誰役感

他者との交流で切っても切れないのはソーシャル(SNS)との関係です。 ソーシャル疲れなどという言葉がありますが、今のソーシャルは誰役感を満たすための仕組みが弱いと感じています。

例えばいいね!ボタンですが、いいね!は最小の労力で最大の承認欲求を満たすよう設計されています。 AさんがBさんの投稿にいいね!をした場合、Bさんは他人に認められたと感じることができますが、AさんはただクリックしただけなのでBさんの役にたったと感じるのは難しい。 コメント機能を使えば困っている友達を励ますことができますが、ソーシャルに書けない悩みなどたくさんあります。 誰役感という意味ではまだオンラインゲームの方が優れていて、僧侶は戦士と組むことでパーティーになくてはならない存在になることができます。

自分はWebサービスを多く手がける会社に努めていますが、著名なソーシャルネットワーキングでこの誰役感を充足させるような仕組みがまだ出てきていないのはこれからのサービス設計のヒントになるかもしれないなあと思っています。

誰役感が足りないと感じたら

生きていればさまざまな理由で誰役感が不足する状況が発生します。 入院中で衣食住すべて面倒を見てもらわないといけなくなったり、慣れない環境で自分の実力が発揮できなかったり、「ひょっとして自分は誰からも必要とされてないのでは」と不安に駆られる時があります。 そんな時は友達の誕生日をお祝いするとか親に電話して声を聞かせるとか、小さな事でもいいので誰役感を満たすための行動を取ってほしいと思います。

また、「まわりによくしてもらうばっかりで自分は何もお返しできない」という思考パターンに入ってしまった場合は、自分は周りに誰役感を与えている、という事実にも気がついてほしいと思います。 必要でない人などどこにもいないのですから。